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樋田毅著『彼は早稲田で死んだ』(文藝春秋)にインスパイアされて、代島治彦監督はこの映画を構想しました
彼は早稲田で死んだ――大学構内リンチ殺人事件の永遠
樋田 毅(著) 発行:文藝春秋
●企画趣旨
50年前、1972年11月8日に早稲田大学文学部キャンパスでひとりの若者が殺されました。第一文学部2年生の川口大三郎君。文学部自治会を牛耳り、早大支配を狙う新左翼党派革マル派(革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)による凄惨なリンチが死因でした。なぜ、川口君は殺されねばならなかったのでしょうか。
50年前、1972年11月8日に早稲田大学文学部キャンパスでひとりの若者が殺された。第一文学部2年生の川口大三郎君。文学部自治会を牛耳り、早大支配を狙う新左翼党派革マル派(日本革命的共産主義者同盟革命的マルクス主義派)による凄惨なリンチによる20歳の死者。革マル派と中核派(革命的共産主義者同盟全国委員会)が「内ゲバ」と呼ばれる殺し合いをはじめた時代だった。好奇心旺盛なノンポリ学生だった川口君は革マル派に中核派スパイという誤ったレッテルを貼られ、拉致された。なぜ、川口君は殺されねばならなかったのか。
川口君リンチ殺人事件に怒った早大全学の一般学生はすぐに立ちあがった。革マル派を追放して自由なキャンパスを取り戻し、民主的な自治会を作ることを目的とした「早大解放闘争」が始まり、世間の注目を集める。それは「内ゲバ」の時代を終わらせ、新しい学生運動を生み出す可能性を秘めた闘いのはずだった。しかし革マル派の「革命的暴力」の前に一般学生は敗れ去り、わずか一年でその闘争は収束する。そして皮肉にも川口君リンチ殺人事件を機に革マル派と中核派の「内ゲバ」は、社青同解放派(日本社会主義青年同盟解放派)をも巻き込む形でエスカレートしていくのである。
誤って殺された川口君の無念を晴らす。100人を超える「内ゲバ」の死者の無惨を明らかにする。理想に燃えた過去の若者たちが結果的に犯した失敗を、理想に燃える未来の若者たちが二度と繰り返さないために、僕は映画「彼は早稲田で死んだ」を作る。
●構成
・作家・演出家である鴻上尚史氏による劇中短編劇。今の若者が川口大三郎君リンチ殺人事件に関係した当時の若者を演じる。
・川口君事件とその後に巻き起こった「早大解放闘争」に関する、川口君の友人と関係者、「早大解放闘争」の当事者による証言。
・川口君が巻き込まれ、犠牲となった新左翼党派間の「内ゲバ」に関する、新左翼活動家の証言。
・日本の戦後左翼運動の研究者の証言。具体的には池上彰氏、佐藤優氏ほか。
●代島治彦(映画監督・映画プロデューサー)
鴻上「次は〈内ゲバの時代〉の映画を作ってください」代島「それは難しい…」。2021年11月、『きみが死んだあとで』上映後のトークイベントで劇作家の鴻上尚史さんと話しました。鴻上「最近出版された『彼は早稲田で死んだ』という本、面白かった」代島「ぜひ読んでみたい」。イベント終了後、会場にいた著者の樋田毅さんから僕はその本を贈呈され、その晩一気に読みました。映画作りの話は、樋田さんと鴻上さんと僕の、この日の偶然のような、必然のような出会いからはじまりました。
鴻上さんは1978年、僕は77年に早大入学。四国から上京した鴻上さんも、北関東から上京した僕も、少年時代に学生運動に憧れ、高校時代に新左翼党派に絶望した「遅れてきた世代」です。だからこそ、樋田さんが書いた川口大三郎さんのリンチ殺人事件をめぐる〈内ゲバの時代〉の体験はこころに突き刺さりました。樋田さんに映画化の快諾をもらった僕は、フィクションを含むドキュメンタリーを構想し、鴻上さんに映画のための芝居作りをお願いしました。
樋田さん、鴻上さんと共同の映画作りがいよいよ始動します。映画『彼は早稲田で死んだ』へのご支援、よろしくお願い申し上げます。
代島治彦(だいしま・はるひこ)
映画監督・映画プロデューサー。1958年、埼玉県生まれ。
早稲田大学政経学部卒業。
『三里塚に生きる』(2014年)、『三里塚のイカロス』(2017年/第72回毎日映画コンクール・ドキュメンタリー映画賞受賞)、『きみが死んだあとで』(2021年)と、1960年代後半から70年代の“異議申し立ての時代”をテーマにしたドキュメンタリー映画を連作した。著書に『ミニシアター巡礼』(大月書店)、『きみが死んだあとで』(晶文社)など。
●樋田毅(『彼は早稲田で死んだ』著者)
『彼は早稲田で死んだ』を出版後、同世代だけでなく、様々な世代の人たちから多数の反響が寄せられています。
かつて全共闘運動や政治セクトの暴力のなかで生きた人、自衛の武装をめぐって悩んだ人、政治セクト主導の文化サークルに知らずに入り、抜けるのに命の恐怖を感じた人、親しい友がセクト間の争いに巻き込まれて殺されたという人……。
大学が暴力支配された時代と正面から向き合うことは、とてもつらいことだけれど、もう逃げてはいけない。
一歩違えば、自分が川口大三郎君になっていたかもしれない。いや、川口君を殺す側になっていたかもしれない。どの文面にも、切実な思いが溢れていました。
「内ゲバ」の時代が二度と来ないようにするために、私たちにできることは何か。
それを考えるため、あの時代を真摯に振り返る。映画は、そんな意図で制作されます。
この映画が、今も世界各地に跋扈している「正しい暴力」に抗う力になりうると信じます。
樋田毅(ひだ・つよし)
ジャーナリスト。1952年生まれ。愛知県出身。早稲田大学文学部卒業。78年、朝日新聞社に入社。朝日新聞襲撃事件取材班キャップを務めた。2017年12月退社。著書に『記者襲撃 赤報隊事件30年目の真実』(岩波書店)、『最後の社主 朝日新聞が秘封した「御影の令嬢」へのレクイエム』(講談社)、『彼は早稲田で死んだ 大学構内リンチ殺人事件の永遠』(文藝春秋)など。
●鴻上尚史 (作家・演出家)
代島治彦代監督の『三里塚のイカロス』を見た時、「ああ、僕と同じことを知りたいと思っている人がいる」と感じました。『きみが死んだあとで』も同じことを思いました。この国の人々が現在、政治にさほど関心がなく、国政選挙の投票率が50%を前後している原因の大きなひとつは、かつての「政治の季節」をちゃんと見つめ、検証しきれてないからだと思っています。
当時も今も、人々から政治を遠ざけた最大の要因は「内ゲバ」だと僕は考えます。ベトナムの平和を願い、愛と平等を願った若者がどうして殺し合いをするようになったのか。
三里塚、学生運動と綿密な検証を続けている代島監督に、ぜひ、次は内ゲバを取り上げて欲しいとお願いしました。代島監督から逆に提案を受けて、映画作りに参加することになりました。今の若者に当時の若者を演じもらおうと思います。この映画が、過去と現在、そして未来を照らす言葉になることを願っています。
鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)
作家・演出家。
1958年、愛媛県生まれ。 早稲田大学法学部卒。
在学中に劇団 「第三舞台」を旗揚げ。以降、多数作品を手がける。
94年 「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞受賞、
2010年 「グ ローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲賞。
演劇以外にも、エッセイスト、ラジオ・パーソナリティ、
テレビの司会、映画監督など幅広く活動。
主な映画監督作品に「ジュリエットゲーム」(’89) 、
「青空に一番近い場所」 (’94)、
「恋愛戯曲〜私と恋におちてください。〜」 (2010) など。
主なドラマ脚本に「戦力外捜査官」(NTV)(2014年)など。
近著に
『「空気」を読んでも従わない〜生き苦しさからラクになる 』
(岩波ジュニア新書)、
『ドン・キホーテ走る』(論創社)
『鴻上尚史のほがらか人生相談〜息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』(朝日新聞出版)がある。
●クレジット
企画・監督・編集●代島治彦
プロデューサー●沢辺 均
撮影●加藤孝信
短編劇 作・演出●鴻上尚史
音楽●大友良英
企画協力●樋田 毅
製作協力●サードステージ
製作●製作委員会[スコブル工房・ポット出版]